浄土真宗について

西本願寺の画像

浄土往生を説く真実の教え(顕浄土真実)

浄土真宗は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨です。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え(顕浄土真実)継承し展開させ、親鸞の没後にその門弟たちが教団として発展させました。

親鸞の著書に記されている「浄土真宗」「真宗」とは、宗旨名としての「浄土真宗」のことではなく「浄土を顕かにする真実の教え」(顕浄土真実)であり、端的に言うと「法然から伝えられた教え」のことであります。


親鸞自身には独立や立教開宗の意思は無く、法然に師事できたことを生涯の喜びとしたので、あくまでも法然の教義を根本としています。親鸞における宗義は本師である法然の教義をそのままに仏教や教えを広く世に広めることです。

浄土真宗の教義

親鸞が著した浄土真宗の根本聖典である『教行信証』の冒頭に、釈尊の出世本懐の経である『大無量寿経が「真実の教」であるとしています。

阿弥陀如来の本願(四十八願)と、本願によって与えられる名号「南無阿弥陀佛」を浄土門の真実の教え「浄土真宗」であると示しています。


浄土宗との最大の教義の違いは「他力」かどうかであります。浄土宗では「阿弥陀さまがいて本願があるから、その通りに信じて称えれば救われる」という考え方です。

しかし、浄土真宗では「自分という迷いの存在がいるから阿弥陀様が私達に合わせて本願を立て、それを成就させたことで救われる」という考え方です。

西本願寺の内観画像
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「他力」と「南無阿弥陀仏」

つまり、阿弥陀仏に自分が合わせにいくのではなく阿弥陀仏が自分たちに合わさってくださった。そこに自分の努力を入れる余地は少しもないのです。

これが「他力」というものです。だから、「南無阿弥陀仏」とは南無という信と阿弥陀仏という行を阿弥陀仏がすべて用意してくださって「(信も行も全部用意したから)そのまま救う」と私達に呼びかけている姿なのです。浄土真宗では、自力で救われようという思いが完全に消滅した状態である信心決定をしたその瞬間に極楽往生が定まると教えています。

自力の心は阿弥陀仏の働きをはねつけているから、その自力の心が廃れば、阿弥陀仏の働きに収められるというわけです。
阿弥陀仏の働きは念仏となって働く。言い換えると、念仏とは阿弥陀仏の働きの現れです。だから他力信心を頂くために聴聞だけをするのは好ましくない。やはり、南無阿弥陀仏の本質は声となった念仏であり、念仏は必ずするべきである。その念仏、つまり自分の口から声として出ている南無阿弥陀仏についてのいわれを聞くのです。

『正像末和讃』「愚禿悲歎述懐」に、
「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」
「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」
「蛇蝎奸詐のこころにて 自力修善はかなうまじ 如来の回向をたのまでは 無慚無愧にてはてぞせん」
と「真実の心」は虚仮不実の身である凡夫には無いと述べ、如来の本願力回向による名号の功徳によって慚愧する身となれるとする。と記しています。

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